このブログには、仕事以外の私の嗜みについても書いていこうと思っていますが、その筆頭として「花火」を挙げたいと思います。と言うよりも『大曲の花火』と呼ばれている全国花火競技大会です。

毎年8月の最終土曜日に秋田県大仙市の大曲雄物川河畔で開催されるこの花火大会に、私が最初に出会ったのが2006年。それから一度も欠かすことなく毎年観に行き続けています。最近では、定宿にしているホテルの従業員や地元のお店の人から声をかけてもらえるまでに関係も深まってきました。
そうなると、これはもう我が家の恒例行事として一年間のリズムであり軸となっているわけで、趣味とかお気に入りの域を超えてわが人生の一部のようにさえ思われます。



なぜそれほどまでに『大曲の花火』に惹かれたのかと言えば、初めて観た時に、そのスケールとクオリティの高さに感動し「来年もまた来たい!」と思ったからに他ならないのですが、恐らくそれだけで20年近くも続くことにはならなかったのではないでしょうか。
私は、この花火大会が地域の興行やエンターテイメントではなく、日本で最高峰の(ということは世界一の)花火競技大会であることがポイントだと思っています。
当大会は、選抜された28社が昼花火(今ではこの大曲だけ)・夜花火の10号芯入割物・10号自由玉・創造花火の4種の総合評価によって優勝(内閣総理大臣賞)を競います。すなわち花火師としての頂点を決する大会と言えます。


このうち、10号芯入割物(イメージ写真)という、皆さんが打ち上げ花火と聞いてイメージされる最も伝統的な大玉の花火こそが、その大きな音と共に私の心に最も響き続けているものなのです。

これだけ継続していると、素人の私でも「審美眼」が鍛えられるものでして、審査結果を聞かずしても凡そ優劣が分かるようになります。
ちょっと専門的になってしまいますが、いい花火とは「座り・盆・肩・消え口・配色」で決まるとされており、分かりやすく言うと「打ち上げた最高点で開き、真円で均等に美しい色で広がり、星(光)が一斉にパッと消える」かどうかなのです。ただし、その基本を大事にしながらも毎年何かしら新しい試みによる進化があり、それも楽しみの一つです。
打ち上げてみなければ分からない、そしてやり直しのきかない至極の一発のその一瞬のために、花火師さんは1年かけて経験と技を手作りの大玉に込めてこの日に臨んでいます。しかも、当然のことながら野外である打ち上げ会場は、刻一刻と気象条件が変わると共に、風向きによって前の花火の煙が残っていたりという運にも左右されるので、努力が正しく報われる約束もないのです。

この一見華やかな打ち上げ花火ではありますが、根底にはそれに関わる職人による「わびさび」や「潔さ」といった、日本で昔から粋とされてきた美しさが貫かれているからこそ、私だけでなく多くの人の心を飽きさせることなく掴んでいるのではないでしょうか。




この大会にもう一つ素晴らしい時間があることを紹介して終わりにしたいと思います。
それは、全ての大会プログラムの終了後に自然発生する「花火師と観客とのエール交換」です。その日訪れた観客は私のようなコアなファンから初めての人までさまざまなのですが、それぞれの感動と感謝の気持ちを込めてライトを振ります。対岸の花火師さんも「見に来てくれてありがとう」とトーチを振ってくれるのです(写真では感動が伝わりませんが)。お互いに見知らぬ相手ではありますが、その時、間違いなく私たちの心は繋がっています。そして何十万もの人が一体であることを感じます。
その幸せな気持ちが、来年もまた帰ってこようと思わせているに違いないと思います。
